シルクは高級品で、古代では皇室の関係者か上流階級の人しか使用することができませんでした。シルクが一般社会に広まるのは江戸時代になりますが、それまでは衣服の生地として麻が広く使われていました。麻は植物ですから、比較的容易に栽培が可能で、シルクよりは手軽に生産することができました。麻が広く流通していたことを物語る地名がたくさん残っています。現在の神奈川県・東京都・埼玉県一体は、江戸時代まで武蔵国と呼ばれていました。現在でも武蔵小金井・武蔵小杉・武蔵境などの名前が残っています。また、全国に国分寺があると思いますが、東京にある国分寺を武蔵国分寺と呼んでいます。現在も東京周辺の区域を漠然と武蔵、或いは、武蔵地区、武蔵野などと呼んでいますね。
武蔵は朝鮮半島の動乱から生まれた?
さて、武蔵という言葉はどこから生まれたのでしょうか?土地の名前や人の名前は、最初に音がありその音に漢字を当てたケースが多く、最初から漢字が持つ意味を見てしまうとルーツに辿り着くことができません。「武蔵」は「モシシ⇒ムシシ⇒ムサシ」、つまり「モシシ」という音から「ムサシ」になり、その「ムサシ」に音の合う漢字を当てたという解釈が一般的です。では、「モシシ」とは何なのでしょうか?
モシシがムサシに!
東京周辺を漠然と武蔵・武蔵野などと呼びますが、その武蔵は「ムサシ←ムシシ←モシシ」、つまり「モシシ」から派生した音に漢字を当てがった後に「武蔵」という地名になったというのが通説です。さて、「モシシ」ですが、これは植物で麻の一種です。古代の朝鮮半島は戦乱状態が続き、王朝の勃興と滅亡が繰り返され、滅亡した王族が日本に逃れて来ることが何度かありました。異国に亡命する場合、逃れた先で受け入れて貰うには、それなりの土産が必要です。土産と言っても一時的なものではなく、その土地にない技術なり知識であればより歓迎されるでしょう。朝鮮半島から渡来(避難)してきた王族たちはいくつかの技術・知識を土産に持ってきましたが、その中の一つに「麻」の栽培技術がありました。その「麻」が「モシシ」だったのです。でもどうして、朝鮮半島からの渡来人が持ってきた「モシシ」が現在の東京周辺の呼び名になったのでしょうか?