成人式で新成人の方たちが振袖を着るという、今や良き風物詩となっていますが、その源流は何と言ってもシルクロードにあるのではないでしょうか。「養蚕と絹糸」で、蚕から絹糸ができるまでの歴史を見て来ましたが、絹糸が中国で生産されるようになってから、その製法が世界へ伝播して行く過程で大きな役割を果たしたのがシルクロードです。”シルクロード”、何ともロマン溢れる言葉の響きですね。余りにも雄大で、簡単には語ることができませんが、ごく大まかにシルクロードについて見て行きたいと思います。
シルクロードの誕生
シルクロードをごく簡単に定義するとしたら、「東洋と西洋を繋ぐ歴史的な交易路」とでも言うのでしょうか。ユーラシア大陸を通る東西の交通路の総称ですから、どこか特定の道を指しているものではありません。 ヨーロッパと中国の境には大きな山脈がそびえているので、紀元前2世紀までは、ヨーロッパ側からの道は中国の国境で止まっていました。中国の使節団が中央アジアを訪れた際に、偶然ヨーロッパまで抜ける道を発見したことから東西の交流が始まりました。以後、紀元前2世紀から18世紀の長きに渡り、歴史、文化、政治、宗教などの面において、東洋と西洋の社会がお互いに影響を及ぼし合うことになりました。シルクロードの成立は、特定の国家や組織が意図したわけではなく、自然発生的に形作られて行きましたから、どこが起点でどこが終点かという明確な定めはありません。
シルクロードの東端・日本
シルクロードの東側の行き着く先には太平洋がありますから、東端は日本と捉えることができます。西の端は、ローマとするのが一般的なようで、途中には様々な国があります。日本、中国、韓国、インド、イランを始め、ヨーロッパやアフリカの国々です。言語・文化・宗教・政治体制などが全く違う国々が、シルクロードを通してお互いに影響し合い、文明の発展に重要な役割を果たしました。
マルコ・ポーロが名付け親
シルクはシルクロードを行き交うキャラバン商人達の主要な商品でした。軽くてコンパクトで、需要が多く、価格も高いため貿易や長距離輸送には理想的でした。中世には、ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロがキャラバンルートをシルクロードと名付けたことからこの名が定着しました。シルクロードの主要な交易品は勿論シルクですが、シルク以外にも様々な商品がやり取りされました。