アンティーク振袖

大正時代のアンティーク振袖

自分だけの振袖をお探しの方にお勧めです。大正時代から大切に受け継がれて来たアンティーク振袖はいかがでしょうか?そもそもアンティーク振袖とはどのような振袖なのか、現代の振袖とはどのような違いがあるのか、をご紹介してまいります!

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アンティーク振袖とは?その2

アンティークの振袖とは一体どんなものなのか?現代の振袖と、どこがどう違うのでしょうか?「アンティークう振袖その1」の続編として、アンティークという言葉の定義から、外見上の違いまで、詳しく見て行きます!

アンティーク」「ヴィンテージ・レトロ 

言葉を少しまとめて見ましょう。辞書的意味として、アンティーク「古風な、骨董品」、ヴィンテージは「良質のワイン」、レトロは「後ろの方へ・遡って」ですが、一般的な言語使用習慣では、アンティークは「100年以上経過した美術工芸品」で、ヴィンテージは「30以上100年未満経過した美術工芸品」、レトロは「前の年代・時代を懐かしい感情を込めて言う場合の表現」ということになります。アンティークとヴィンテージ、「時間の経過と共に価値を増している、由緒のある」などと言ったプラスの価値や付加価値のある美術工芸品を指す表現として使われています。 

アンティークの振袖とはー江戸時代から明治時代の振袖 

さて、アンティークのおおよその慣習としての用法を確認しましたが、振袖を見てみましょう。江戸時代後半には、裕福な商人の娘さんが振袖の長さを競う、などということがありましたが、それはとても恵まれた一部の方達だけの特権のようなものでした。一般のご家庭のお嬢さんが振袖を楽しむことができるようになるのは、明治以降です。 

明治時代の振袖には特徴がありました。振袖の長い袖を行く行くは短く切り、留袖として再利用するという前提で作られていましたので、上半身には模様がなく、色調も抑え気味で全体に地味な印象の柄でした。また、現代では当たり前の「自由」や「個性」という概念が一般化しておらず、自由な柄や独創的な柄を注文するという意識が希薄でした。 

自由の空気

大正時代には、そんな明治時代の抑圧された空気を振り払うように、「自由」という意識が国民全体に芽生え始め、生活全般に前向きな変化が現れました。大正デモクラシーという表間に代表されるように、社会全般の活動や人々の心の中にそれまでの既成の概念を大きく飛び越えるような動きが見られました。特に、ファッションの分野では、洋服なども入って来た影響もあり、作り手も着る方も自由にファッションを楽しむ空気が広がりました。 

大正時代の振袖 

上半身には模様を施さない明治時代の振袖の形式も、大正時代には上下左右前後すべてに模様を施すようになりました。振袖は既製ではなく、オーダーメイドでしたから、注文主はお嬢様が使用する3年前くらいには職人に発注しました。注文を受けた職人の労働感覚は、現代とは違い”時間いくら”で労働するという感覚ではなく、どんなに手間暇をかけようと、自分も注文主も満足する素晴らしい振袖を仕立て上げたい、そんな気分で手掛けていました。機械のボタンを押せばできる模様と、手間暇をかけ職人の手で施された模様には根本的な違いがあり、優劣ははっきりしています。

昭和の振袖 

大正時代はたった15年で、その次の時代の昭和は64年でした。昭和20年までは、”戦争の時代”でしたから、大正時代に頂点に達した振袖でしたが、その華やかさは一挙に萎んでしまいます。終戦を境にした昭和20年以降の振袖はどうなったでしょうか?大量生産大量消費の時代が始まり、振袖や丸帯の模様や仕立てを一点一点吟味し最良のものを仕立てようという精神は残念ながら失われてしまいました。また、労働に対する考え方も変わり、労働を時間いくらで捉えることが一般的になり、一着の振袖や丸帯に3年もかけて最良のものを仕立てるということはなくなりました。 

アンティーク振袖こそ最高峰

振袖においては大正時代に仕立てられた振袖が最上だということに納得していただけましたか?例えば、現代の何千万円もするヴァイオリンでも、3~400年前のストラディヴァリには到底及ばないでしょう。時間を経ていないと良さがでて来ない、あるいは、時間とともに徐々に良さを増して行く、美術工芸品にはそのような例が多くありますが、大正時代の振袖は正にそんな逸品です。そして、正にアンティークと呼ぶに相応しい美術品であると言えます。 

アンティーク振袖の外見上の特徴 

美意識の変化

着物は外から見える表側と外からは見えない内側に区別されます。現代は合理的に物を考えるのが主流ですから、外から見えない内側にお洒落をするということは合理主義に反しまうので、そんなことをすることはなくなりました。が、大正時代以前の日本人は、見えない内側でも、いや、見えない内側にこそお洒落をしようという美意識を持っていました。美意識は、あることをきっかけに飛躍的に上がることもあれば、時代や何かをきっかけに後退してしまうこともあるのですね。 

八掛 

着物の内側の足回りを八掛(はっかけ)と言います。大正時代八掛は、表側の柄と同じ柄(模様)が施されていました。表と同じ(共)側の八掛を特に共八掛(ともはっかけ)と呼ばれています。振袖の袖は長いので、それだけでも普通の着物よりもずっとたくさんの生地が必要ですが、共八掛の振袖となると、さらに多くの生地が必要になります。それだけでも、大正時代の着物職人に対する情熱を感じることができますね。 

単衣(ひとえ)と合わせ(あわせ) 

着物は裏地をつけたものとつけていない着物があります。6月から10月までは暑い季節なので裏地をつけず、11月から翌5月までは寒さ対策として裏地をつけます。裏地の無い着物を単衣(ひとえ)と呼び、裏地のある着物を合せ(あわせ)と呼んでいます。合わせの着物の裏地は、外側から見えませんから寒さ対策としての機能さえ満たすことができれば、装飾的な面の配慮は必要がありません。しかし、それは令和の人間の実的感覚で、美的感覚が豊かであった大正時代は、外から見えない箇所だからと言って気を気張らなくてもよいというものではありません。というか、外から見えないところだからこそお洒落に気を配る、それが大正時代の美的センスでした。 

赤揉み(あかもみ) 

着物の内側には共八掛の他にもう一カ所、アンティーク振袖独特の特徴があります。それは、合せ(裏地のついた着物)の裏地です。大方の人は、着物の裏地は真っ白な布を連想されると思いますが、大正時代には赤揉み(あかもみ)と呼ばれる真っ赤な色をするものでした。赤という色は、何ともチャーミングですね。また、赤揉みの色は紅花を染めたものでしたから、虫よけの効果もありました。 

裏地は外側から見えないと言いましたが、実際には着ている女性の動きでちらっと見えることはよくあることです。女性の何気ない動きから、裏地が一瞬見えた際に、白い色より赤色の布が顔を覗かせるのは、何ともチャーミングですし色気さえ感じるものです。 

手描きの柄(模様) 

食器や家具などに施されている模様ですが、基本的には機械プリントです。機械プリントの方が、安価で大量生産ができます。しかし、持っている味や装飾的な魅力を考えると、やはり人の手で施された手描きの方に軍配があがります。手描きは、たとえ同じ絵を描いたとしても輪郭線や細部に変化が起こり、この世に同じ物は二つと存在しません。着物の柄も、現代は経済効率の観点から当然機械プリントです。手描きの振袖は、仕立て上げるのに大変な時間と労力がかかりますが、大量生産ができないぶん希少価値があります。同じ物がなく、この世に一点だけのものだということも大きな魅力です。 

アンティーク振袖・卑弥呼では、大正時代から大事に受け継がれてきた振袖の中でも、状態が良く柄が華やかで魅力的な振袖だけを長年集めて参りました。だからと言って、現代の振袖より高価では魅力が薄れてしまいますので、レンタル料金の面からでも選んで頂ける設定でご提供させていただいております。

「アンティーク振袖とは?その1」はこちらです!

お役にたつ6つのヒントを紹介しております!

1 振袖の”格”で選ぶ

2 料金で選ぶ

3 色や柄の好みで選ぶ

4 サービス内容で選ぶ 

5 後悔しない振袖選び

6 様々な特典で選ぶ

 

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店舗名 アンティーク振袖レンタル販売 卑弥呼
住所 〒192-0912
東京都八王子市絹ケ丘 1-37-6
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営業時間 10:00~18:00
定休日 不定休
最寄り駅 長沼駅から徒歩4分

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